♦有松鳴海絞りの人気を絞りまつりで実感しました。―着物コラム―

○絞り染めとは?

 

着物の染色技法の一つに「絞り染め」があります。絞り染めとは、生地を「縫う」「くくる」「たたむ」などして圧力をかけて防染して(つまり染まらない場所を作り)、柄を染め出す技法です。世界的にも歴史は古く、インドや中国で自然発生的に始まったとされています。日本には、最も古い染色技法として奈良時代(710〜794年)に、中国から伝わった三纈ー纐纈、夾纈、臈纈(こうけち↠絞り染め、きょうけち↠板締め、ろうけち↠ろうけつ染め)として残っています。

 

日本の産地で有名なのは、主に絹に絞り染めを施す京都の京鹿の子絞りや辻ヶ花と、主に木綿に絞り染めを施す愛知県の有松・鳴海絞りがあります。京鹿の子の総絞りの振り袖も絢爛豪華ですし、有松鳴海絞りの様々な技法の柄の一点物の浴衣も男女問わず大人気です。

京鹿の子絞りと三浦絞り

絞り染めの赤い振袖と、紺の浴衣

京都には古くから都がありましたから絹の絞りが発展し、愛知県では三河木綿や知多木綿など木綿織物が盛んでしたから、主に木綿の絞り染めが発展しました。木綿織物の織機から発展し、トヨタ自動車が生まれたのも有名ですね。

 

今回は、有松絞りの方にスポットを当ててみたいと思います。

京都の絞りについては次回お話ししますね。

有松の駅

○今も愛される有松絞り

 

現在の有松は、絞り染めや江戸時代の町並みが残る日本遺産の町ですが、江戸時代前期までは盗賊が出るようなうっそうと生い茂る森だったようです。それで1608年、東海道整備のために尾張藩が諸役免除の特権を与え、竹田庄九郎ら8名が木綿の産地であった知多郡から移住しました。

そして庄九郎が豊後(大分)絞りの三浦絞りから木綿染色の一つとして取り入れ、発展させたという説があり、竹田庄九郎が有松絞りの開祖とされています。三浦絞りは多くある種類の中でも最初の有松絞りとされており、「三浦」とは人名で、豊後の三浦氏からとも、伝えた人の名とも言われています。

大きめに並ぶ絞り柄は、確かにTHE・有松。有松絞りの象徴で、たくさん並んでいても一目でわかるインパクトがありますね。老若男女どなたにも似合います。

三浦絞り(ゆかたより)

有松では、毎年6月4日、5日に、絞りまつりが開催されます。今年は実際に出かけてきました。有松駅から東西に渡る東海道沿いに、絞りのお店や工房が公開され、展示もたくさん見られますし、有松天満社のからくり人形の山車も展示されてとても賑やか。見どころがいっぱいです。

山車

実演も行われています

絞り浴衣と生花の展示

それより何よりすごいのは、絞りの浴衣や洋服などを着てる人の多さです!絞り大流行⁉こんなにブームだったっけ⁉と驚くくらいたくさんの生の絞りコーデを見る事が出来ました。それはもちろんお祭りに来られてる一般の方々です。一度にこんなにたくさんの絞りを見たのは初めてで、いや、一つの染色技法の衣類だけを一度にたくさん見るというのもなかなか無い経験なので、圧巻でした。現実の「絞りファッションショー」が体験できるのが特徴的です。

町の様子

日本はかつて、明治42年に、生糸(絹糸)の輸出が世界一だったのを若い世代はご存知でしょうか。絹産業が発展したことをきっかけに、他の様々な産業も発展して行き、先進国の仲間入りも果たしたので、日本のあちこちで織物や染物が産業として盛んに行われている時代があったのですね。でも、今では衰退して、途絶えてしまった物もたくさんあるんです。

そういった意味では、有松鳴海絞りは、今でもこうしてたくさんの人々に愛されているのは紛れもない事実で、素晴らしいなと実感しました。そこには多くの人々の努力もあり、例えば技法も進化して100〜70種類あると言われています。現地の絞り染め会館に行けば詳しく知る事が出来ますが、興味のある方は調べてみて下さいね。絞り会館の様子1

 

絞り会館の様子

 

私達染色補正の仕事では、主に絹の物ならば絞りも補正しますが、絞りの場合、技法によっては水が使えないのもあるのでシミを隠ぺいしたり、また水が使えたとしても細かい色補正をしたり、高度な技術を要する物が多くあり、そのあたりも次回お話いたしますが、

 

有松絞りの浴衣は、水でザブザブ洗えるのも、扱いやすくていいですね。

絞りの浴衣

絞りまつりの時でなくても、お店もたくさん並んでいますし、情緒ある町並みも楽しめるので、ぜひ一度足を運んで、絞りの魅力に触れてみてくださいね。