♦ 研究と技術とセンスを極めた時代祭 そして消えた染織祭 ― 着物コラム ―

七月に祇園祭のブログを書きましたが、京都では毎年10月22日に時代祭という大きなお祭りがあり、5月15日の葵祭と並んで京都の三大祭と呼ばれています。

そしてこの時代祭こそが、京の都が古くから呉服業が栄えた町であることを象徴しているように思います。古代から明治維新までの装束を着た2000人もの人々が練り歩くのですからね。それは素晴らしいパレードで歴史上の人物がタイムスリップして来たのかと思う場面もあります。

時代祭り

 

 

よくこれだけの衣装を作ったなあとも思いますし、時代劇の撮影を連想する方もおられるでしょう。始まりは1895年(明治28年)と、歴史的にはそれほど古くはありませんが、当時の呉服店や職人達が一丸となって作り上げてきたお祭りで、少しずつ変化を遂げながら現代でも愛され続けています。

まさに和装から洋装にとって変わる時代に、日本人の研究と技術とセンス、そして彼らの熱意をここに結集させたお祭りなんですよ。

 

―――時代祭とは―――

 

1867年、将軍徳川慶喜によって大政が奉還されると、明治には日本の中心は明治天皇のおられる東京に移って行きました。桓武天皇が京都で国を治めておられた平安時代から、事実上長きに渡って“都“であった京都は段々と淋しくなってきたんですね。そこで京都の豪商達は再び京都を盛り上げようと私財を出しあって京都のシンボルとなるような神社を創建しました。平安神宮です。

平安神宮大鳥居

平安神宮大鳥居

平安神宮は、1895年(明治28年)平安遷都1100年を記念して桓武天皇を御祭神として創建されました。時代祭は、その平安神宮の祭事として、10月22日の平安遷都の日に開かれるようになりました。

 

時代祭では一万二千点もの衣装・祭具が使用されますがそれらを製作するために各方面の研究者や学者を集めた時代考証委員会が作られ、髪型やお化粧、着付けの仕方、衣装は糸の一本まで忠実に再現され、「歩く論文」とまで言われています。

実際に生で見られたら壮大なファッションショーで、目が離せませんよ。

時代祭り

時代祭り

時代祭り

しかしこの時代祭、当初は男性装束のみの行列だったんです。想像するに、ちょっと地味ですよね(笑)

華やかな婦人行列が加わったのは1950年(昭和25年)からなんです。そしてその影には、消えたもう一つのお祭り「染織祭」があったのです。

 

―――消えた染織祭とは ―――

冒頭で京都三大祭と書きましたが、実は四大祭と呼ばれるもう一つの大きなお祭りがあったんです。それが染織祭です。染織祭は1931年(昭和6年)から1951年(昭和26年)までの20年で消えてしまった、幻のようなお祭りです。男性装束の時代祭が秋に行われ、こちらは婦人装束で春4月に行われていました。

御祭神は9神おられ、天棚織姫神、呉織神、漢織神といった、染織にちなんだ神々です。日中戦争の最中、豪華絢爛な祭事は取り止めになり、1950年から時代祭に婦人行列が加わり始めたのをきっかけに消えて行き、やがて人々の記憶からも消えて行ったのでした。女性がパレードする形のお祭りがこの時代にあったとは。時代背景を考えると消えてしまったのも頷ける気がします。

 

Wikipedia「染織祭」より(1/2)

Wikipedia「染織祭」より(1/2)

Wikipedia「染織祭」より(2/2)

Wikipedia「染織祭」より(2/2)

ですが、当時の研究者達によって忠実に再現された衣装は大変素晴らしく華やかで見ごたえがあります。現在も保管されているそうで、時々展示される事もあります。特に平成27年には神戸ファッション美術館で143領の中から100領が展示され、圧巻で、大変勉強になりました。

平成27年 神戸ファッション美術館図録「日本衣装絵巻」より

平成27年 神戸ファッション美術館図録「日本衣装絵巻」より(1/2)

平成27年 神戸ファッション美術館図録「日本衣装絵巻」より

平成27年 神戸ファッション美術館図録「日本衣装絵巻」より(2/2)

どちらも呉服の町 京都ならではのお祭りですね。そのストーリーにも、当時の人々が着物を後世に伝えようとされた熱意や努力、そして着物愛を感じます。いろんなドラマがあったのでしょうね…

今年もコロナで中止のようですが、着物の魅力や歴史の詰まったお祭り、ぜひ一度観に来てくださいね。