☆近江上布は滋賀県の歴史ある優れた麻織物です。 ―着物雑学ー

私達の染色補正の仕事は、主に絹の後染めの製品が対象です。が、これまでに先染めの紬、大島紬、帯、木綿など、いろんな種類の染織について書きまして、今回は「麻織物」です。麻は水で洗っても縮まず色落ちせず、夏には欠かせないアイテムですが、どんなふうに作られているのでしょう?お隣の滋賀県の近江上布伝統産業会館にお邪魔して学ばせて頂きました。

近江上布伝統産業会館

大正11年建築の旧愛知(えち)郡役所をリフォーム

 

ーーー麻織物の歴史ーーー

 

調べてみると、そもそも古来から衣服として着られていたのは麻で、日本では、弥生時代に絹織物が発見されたそうですが、渡来人の秦氏から絹織物が伝わったのはそれよりもっと後(1〜2世紀)ですし、木綿が伝わり発展したのは江戸時代ですから、日本国民のほとんどは随分長い間、麻織物を着ていたんですね。古く歴史ある神社で注連縄など、麻•大麻がいろんな用途に使われる事からも、麻が不可欠だったことがわかりますね。

ですが絹や木綿が普及•発展し、特に戦後GHQによって大麻の生産が禁止されてからは急速に廃れて行きました。

 

「近江上布」は、その名称で国の伝統工芸品に指定されたのは昭和52年(1977年)の事ですが、江戸時代には中山道高宮宿の「高宮布」として、奈良晒、越後縮と並んで発展しました。彦根藩は高宮布を庇護し、幕府への献上品とし、近江商人は各地に普及し、また、東北から苧麻を持ち帰ったりして更に発展、その地位を確立して行きました。

 

ーーー近江の麻織物の特徴ーーー

 

滋賀県の湖東で生産され、明治に、愛知郡、神崎郡に移行したそうです。原料になる麻は、現在では輸入が多く、国産では群馬産や栃木産の物になるそうです。大麻は生平(きびら)の地機向きで、苧麻は紡績(機械で糸にして織る)向き。

 

○「水処理による白さ」

湿潤な環境や山の湧き水の豊富な清流が麻を育て麻織物が発展しました。大麻は水に半日漬けて、白水(米の研ぎ汁)に半日漬けて、柔らかく白く、そして糊気を纏わせます。

干してある麻

大麻は皮を使い、芯は捨てます。

○「手績み(てうみ)による細い糸」

手で細く裂き、結び目を作らず繋いで行く手績みは、機械化が難しく、手間と時間のかかる作業です。

麻の手績み

 

○「昔ながらの地機で織られた生平(きびら)」

経糸を腰で引っ張り、張力を強くしたり弱くしたりする事で経糸を開口するという、国内の織物の産地でもほとんど見られない希少で難しい機を使って織られています。絹は四角い糸巻きを使いますが、麻は角の跡がつくため、丸い糸巻きを使います。

地機と丸い糸巻き

生平を織る地機と丸い糸巻き

 

○「糸に柄付けをしてから柄を織り出す先染め」

櫛の背のような道具を使った「櫛押し捺染」緯糸を木枠にかけてから型紙で染める「型紙捺染」で染められます。織る時に柄を合わせるために左右に色分けした「耳印」がつけられますが、織り人のセンスでわざと少しずらして、織物の風合いを際立たせる事もあります。

耳印のある反物

耳印。同じ反物で色が左右で異なる

捺染の様子

緯糸に柄を染めてから織っています。

 

○「柔らかく緩やかで優しいシボ」

シボは現在は機械も使われているようですが、かつては「シボリダイ」と呼ばれる凹凸のある板で布を揉んでシボをつけていました。手間がかかるため量産は困難ですが、現在でも「手もみ仕上げ」として作られる事があるそうです。

シボリダイ

シボリダイ

 

伝統工芸品に指定されている「近江上布」は、手績み、地機織り、型紙捺染などの条件をクリアした物だけで、一年に3反くらいしか作られていないそうです。機械織りなどの一般的な織物は「近江ちぢみ」「近江麻織物」と表記されています。

近江上布

 

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現在では、歴史ある近江の麻織物を途絶えさせたくないと、技術の継承に力を入れておられ、職人育成や体験学習に取り組んでおられました。織り物の産地に行くと、こうした取り組みをされている方々や織元さんが必ずおられていろいろ教えて下さり、大変勉強になります。

 

今回もお話を伺っていて、百年前の近江上布を見させて頂くと、先日頂いた着物が時代も素材感も染め方も非常に似ている…産地はここ?とか、何度か着て生地が弱ってきたので捨てた着物ももしかしてこれだったかも…?とか、いろいろ思い当たりました。

百年前の麻の着物

百年前の麻の着物

 

ルーツをたどれるのも、着物ならではの醍醐味ですね。皆様もお近くの織元さんを散策がてら訪ねてみられたら、たんすに眠っている着物のルーツがわかるかも知れませんよ。