☆江戸の町を席巻した松阪木綿は今も受け継がれています。ー着物雑学ー

松阪木綿をご存知でしょうか。日本には三河木綿や久留米絣など、有名な木綿織物の産地がたくさんありますが、三重県(伊勢)も外せません。木綿は、高温多雨な気候でよく育ち、干鰯(ほしか)などの良い肥料も必要なので、伊勢湾沿いにある三重県は最適です。良質の綿栽培が盛んになり、発展して行きました。現在でも、カラフルな伊勢木綿、お一人で継承されている市木木綿、そして昔ながらの伝統製法を継承されている松阪木綿が有名です。今回は松阪木綿保存会のゆうづる会の方にお話を伺いました。

★ 松阪木綿とは

  •  藍染めと縞模様

特徴は、一言で言うと、先染めの藍染めの縞柄の平織り生地です。(後染めも一部あります)その縞のバリエーションは無限にあると言われていますが、現在でも定番柄が49もあるそうで、驚きです。

松阪木綿センターのパンフレットより

木綿が急速に発展した江戸時代では、歌舞伎役者の間で「松阪縞を着る」と流行、庶民にも広まりました。当時の浮世絵にも藍の縞柄の着物が多く描かれていますが、毎年五十数万反(当時江戸の人口は百万人)も製造販売していたそうですから、その人気は計り知る所です。倹約令の時には華やかな着物は着られませんから、遠目から見ると無地に見えて近づくと様々な縞模様があるのが、粋でお洒落だともてはやされていました。現在でも「遠目から見ると無地に見える」のが良いとも言われているそうです。色柄だけではなく、綿の質が良く、紡織技術が優れていたことも人気の理由だったようです。

松阪木綿の生地5柄

  •  歴史

その歴史はかなり古く、五世紀後半にまで遡ります。大陸から伝来した「漢機(あやはとり)」「呉織(くれはとり)」によって機織りの技術が伝わりました。その品質を買われて七世紀末には、伊勢神宮への織物の献上が義務付けられ、その習わしは「機殿(はたどの)」地域で今も続いています。伊勢湾が近く外国との交易も有効で、安南国(ベトナム)の「柳条布」が縞柄のルーツとされており、「嶋渡り」から「縞(しま)」と名付けられたとも言われています。更にそれを、松阪商人が江戸に広めて行くわけです。

当時、大阪商人、近江商人、松阪商人(伊勢商人)が江戸に次々と進出していました。(ブログ「「三方よし」私たちのルーツは近江商人です。」)十八世紀には、大伝馬町に松阪の木綿問屋が軒を連ねました。また、松阪在住の三井グループ創業者の三井高利も52歳の時に江戸と京都に呉服屋「越後屋」を開き、松阪木綿を販売していました。

浮世絵には松阪の豪商がずらり

浮世絵には松阪の豪商がずらり

木綿問屋の豪商長谷川家

木綿問屋の豪商長谷川家

三井グループ創始者、三井高利の生家

三井グループ創始者、三井高利の生家

城下の面影残る町並み

城下の面影残る町並み

 

時の城主、蒲生氏郷が城下町を整備したり、有力商人を誘致したりして、発展の基盤を築いたことも大きく影響して、松阪木綿は一世を風靡するようになりました。余談ですが、氏郷はその後転封された会津(福島県)でも会津木綿を発展させましたね。その基礎は松阪木綿にあったのです。(ブログ「会津藩主が三代に渡って発展させた会津木綿」)会津「若松」とも名付けていますね。

 

 

★ 伝統の製法を守り続ける保存会の皆さん

ゆうづる会のパンフレットより。工程など

ゆうづる会のパンフレットより。工程など

ゆうづる会のパンフレットより。工程など

松阪での産物を使って昔の松阪木綿を維持し続けておられる「ゆうづる会」の皆さんの活動は素晴らしいと感じました。

綿花から糸を紡ぐ様子は、現在でも小学校や公民館などで実演されているそうです。「たぬきの糸車」という童話になぞらえてお話しされるのだそうです。糸紡ぎは残念ながら見られませんでしたが、綿花はちょうど開き始める時期の所が見られました。 

一年越しの綿花

一年越しの綿花

藍も地元で栽培されたもので、糸を染めてから織る先染めが基本的です。夏には収穫したての藍で「生葉染」をして、それ以外の季節には泥藍(沈殿藍)染、乾燥葉染(煮出す)で染色されます。(藍染めについては前回のブログ「世界に誇るジャパンブルー・藍染めを正しく理解しよう」もぜひ)糸はほとんど紡績糸を使われてますが、藍染めは松阪の御絲織物さん(松阪木綿を製造されています)で染められる事もあるそうです。藍染めは、その色の濃淡などによって、「甕覗き」「水縹」「浅葱」「水色」「空色」「納戸」「藍」「紺」など、48種も色名があり、様々な青色を作る事ができます。それに、植物染めの黄蘗、くちなし、山桃、柘榴、枇杷、その他いろんな植物を使っていろんな色の糸を染め、それらを組み合わせて数多くの柄のバリエーションが作られます。

 

糸の太さは多いのは30番ですが、40番など細い糸で複雑な柄を作られる事もあるそうです。織機は見慣れた京都のものでした。

織機

五光台

五光台

糸巻き

糸巻き

経糸が張られた織機で織り進めますが、織るよりもこの緻密な経糸を張る事の方が難しいのだそうです。

この間に全て糸を通していきます

この間に全て糸を通していきます

平織りなので全て均等に織らないと段や線が入ってしまい、検品で値打ちが下がってしまいます。が、織り進める動作を逆回しで行えば解けて、またやり直す事が出来ます。編み物と同じですが、解く気にはなれませんよね(笑)。

体験させていただきました

体験させていただきました

ゆうづる会は現在17名、昨年40周年を迎えられて、記念にウエディングドレスなど大作をたくさん作られ、写真を見せてくださいました。江戸の町の象徴とも言える松阪木綿。美しい藍の縞を、いつまでも作り続けて頂きたいですね。